当RCは、与野ロータリー・クラブの名称のもと1966年1月21日、浦和北RCをスポンサー・クラブとして同クラブの寿原茂夫氏が特別代表に委嘱され、同氏の指導のもとに、当時の第358地区(東京、沖縄、埼玉、千葉)の埼玉県で25番目のクラブとして創立総会を開催した。竹田ガバナーを始め、スポンサー・クラブである浦和北、浦和、大宮、大宮西の各クラブ代表の方々を迎えて総会での決議事項を承認し、無事総会を終了し、仮クラブとして発足し、1966年4月15日を以って国際ロータリーへの加盟が認証された。
当時の竹田ガバナーの在任中に国際ロータリー加盟認証状伝達式を行うべく、故井原初代会長を中心に全会員一致協力、1966年6月5日、県立与野農高体育館(現いずみ高校)で、与野RCは勇躍としてその第一歩をしるし、今日迄の輝かしい当クラブの歴史が始まりました。その間を顧みるに、数々の業績が挙げられる中で、特記すべきことのみを述べあげれば次の様な事が思い出されよう。
日付 | 本文 |
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2011年~2012年 | 逼迫した予算の中でも概ね充実した年度を送ることができ、今年度純増2名の会員増強をすることができ、会員減少にも歯止めを掛けることができたと思う。会報をA4の1ページにし、委員会負担の減少を図り、会報の記録性に重点を措いた。 |
2012年~2013年 | 田中作次RI会長のもとで、伝統あるクラブとして、活動した1年間でした。特に、次年度への「地区協議会」設営担当クラブとして活動し、また次年度ガバナー補佐を輩出しました。 |
2013年~2014年 | ガバナーを、第2グループから輩出し、当クラブからガバナー補佐を選出し、IMのホストを務めた多忙な1年間でした。また現役会員2名を死亡で失う大変な年度でした。国際奉仕部門で表彰も受けました。 |
2014年~2015年 | 地区・研修協議会のホストクラブとして運営に参加。米山奨学生をホスト。会員数46名でスタートするも退会者が入会者を上回り、減員となってしまう。50周年の準備を開始。 |
2015年~2016年 | 創立50周年。ゴルフコンペ、バイオリンコンサート、記念式典を行いました。また5人の新入会員を迎えることができましたが、会員の1名が亡くなり、3人の退会者が出てしまったことはとても残念なことでした。 |
2016年~2017年 | 50周年記念事業の記念誌を発行しました。さいたま中央ロータリークラブの歌、「我等は元気」(作詞:金子弘会員、作曲:吉村義史会員)を例会で月に1回歌い始めました。会員増強はわずかですが目標2名は達成できたようです。 |
2017年~2018年 | 例会開催2500回を迎え記念例会を開催しました。又、地区の財団部門VTT委員会事業でインド3000地区より6名のロータリアンを当クラブの例会にお招きしました。会員増強も微増ですが純増となりそうです。 |
2018年~2019年 | 第2グループのガバナー補佐(増渕一夫会員)を輩出し、ⅠM実行に尽力致しました。ともかく会員増強に取り組み、5名の新入会員を迎えましたが、6名の退会もあり、増強はかないませんでした。松本輝夫会員が第2770地区ガバナーデジグネートに選出されました。 |
2019年~2020年 | 三浦直前会長が逝去され、松本輝夫ガバナー年度の準備が始まろうとしている矢先に、新型コロナウィルス流行により例会中止が続き、ハワイ国際大会も中止となり、波乱の一年でした。 |
2020年~2021年 | 新型コロナ禍の中、ハイブリッド例会を導入するなど感染防止に苦慮する厳しいクラブ運営でした。創立55周年事業を大幅に縮小し、松本ガバナー年度に向けて飛躍となる準備を整えました。 |
2021年~2022年 | クラブ初となる松本輝夫ガバナーを輩出しましたが、コロナ禍が続きロータリー活動がままならない年度でした。例会場がTHE MARK GRAND HOTEL(旧ラフレさいたま)よりステラ・デル・アンジェロへ変更となりました。 |
2022年〜2023年 | 当初は新型コロナウイルス感染症により親睦事業が中止となるなど波乱のスタートでしたが、終盤は落ち着きを取り戻しつつあった年度でした。 |
2023年〜2024年 | コロナ禍が明けて活動が再開され、台湾鶯歌RCとの交流が始まりました。 |