当RCは、与野ロータリー・クラブの名称のもと1966年1月21日、浦和北RCをスポンサー・クラブとして同クラブの寿原茂夫氏が特別代表に委嘱され、同氏の指導のもとに、当時の第358地区(東京、沖縄、埼玉、千葉)の埼玉県で25番目のクラブとして創立総会を開催した。竹田ガバナーを始め、スポンサー・クラブである浦和北、浦和、大宮、大宮西の各クラブ代表の方々を迎えて総会での決議事項を承認し、無事総会を終了し、仮クラブとして発足し、1966年4月15日を以って国際ロータリーへの加盟が認証された。
当時の竹田ガバナーの在任中に国際ロータリー加盟認証状伝達式を行うべく、故井原初代会長を中心に全会員一致協力、1966年6月5日、県立与野農高体育館(現いずみ高校)で、与野RCは勇躍としてその第一歩をしるし、今日迄の輝かしい当クラブの歴史が始まりました。その間を顧みるに、数々の業績が挙げられる中で、特記すべきことのみを述べあげれば次の様な事が思い出されよう。
日付 | 本文 |
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2006年~2007年 | クラブの高齢化を迎えている今年9名と退会者が多かったが、5名の新入会員を迎え、次年度も新会員を増強し若返る事を期待しております。クラブ細則研究会を発足し、細則の見直し簡略化とCLPの取り組みを開始し、次年度の8月をめどに改定を目指した。 |
2022年〜2023年 | 当初は新型コロナウイルス感染症により親睦事業が中止となるなど波乱のスタートでしたが、終盤は落ち着きを取り戻しつつあった年度でした。 |
1967年6月23日 | 姉妹クラブ締結。米国オハイオ州ゼインズビルRCとの姉妹クラブを締結し、交換学生を送受し、国際親善の実をあげた。 |
2007年~2008年 | 昨年度発足したクラブ細則研究会より提案された「クラブ細則改定案」が8月9日の臨時総会において出席者全員賛成により承認され、クラブ発足以来の細則が次年度より改定されることになった。また、12月5日に開催された地区次年度部門補佐会議で井上正巳会員が次年度第2グループガバナー補佐として任命された。 |
2023年〜2024年 | コロナ禍が明けて活動が再開され、台湾鶯歌RCとの交流が始まりました。 |
1971年8月19日 | 与野ローターアクト・クラブ創設。1971年8月19日に仮クラブ設立。翌々年の1973年1月25日創立総会。同年4月26日与野市東庁舎と体育館にて認証状伝達式を盛大に挙行。残念ながら会員の減少により’89~’90年度に解散した。(RI届は1992年1月23日付) |
2008年~2009年 | 新年度のスタート時点では、高齢化等により退会者が続出し48名のスタートであった。今年度よりCLPが実行に移された。 |
1970年~1971年 | 創立5周年 |
2009年~2010年 | 波風立たず平らかにクラブ運営されて参りました。しかし、入会者数より退会者の方が多かったのが残念です。 今後もどのように会員を増強していくかが今後の課題と思われます。 |
1975年~1976年 | 創立10周年。記念誌の発行と七大記念事業実施 |
2010年~2011年 | インターアクト年次大会のスポンサークラブとなり開催。創立45周年記念式典は東日本大震災の為中止となったが、義援金として100万円の寄付を行った。式典以外の記念事業は行った。 |
1980年~1981年 | 創立15周年。与野RC15周年記念事業の一つとして、淑徳与野高等学校内にインターアクト・クラブを創設し、学内、学外、そして国際的にも活躍を始めた。また、記念会報を発行し、霧敷川の土堤に262本の染井吉野の桜を植え、今日では道行く人の眼を楽しませている。 |
2011年~2012年 | 逼迫した予算の中でも概ね充実した年度を送ることができ、今年度純増2名の会員増強をすることができ、会員減少にも歯止めを掛けることができたと思う。会報をA4の1ページにし、委員会負担の減少を図り、会報の記録性に重点を措いた。 |